ことばが人となる
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作成日時 : 2011/11/01 22:14
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初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
神から遣わされたヨハネという人が現われた。この人はあかしのために来た。光についてあかしするためであり、すべての人が彼によって信じるためである。彼は光ではなかった。ただ光についてあかしするために来たのである。
すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子供とされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の要求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。ヨハネはこの方について証言し、叫んで言った。「私のあとから来る方は、私にまさる方である。私より先におられたからである。」と私が言ったのは、この方のことです。私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。「新改訳聖書刊行会」日本聖書刊行会・ヨハネの福音書冒頭より
はじめにことばを汚した
そこに光は照らされなかった
生まれたときから
暗きやみのなかをさ迷っていた
導くひとは黒い手の邪悪な人たちで
黒い蝋燭の炎が
ぼくの裸の胸を暗く照らしていた
だれがこの方のことばを聞けたというのだろう
ことばは悪魔となり
ぼくのたましいは真っ赤に汚された
血の臭いと腐臭が充満した部屋で
生まれたての鼠の腹を裂いていた
光に照らされる日はいつになるか
導いてくれることばは
いつこのたましいを
朽ち果てた心臓は今にも止まりそうだ
あの方の隣で
ヨハネがささやいている
あなたはまだ救われる
いえだれもが信じることで
さあどうだろうか
赤ん坊の首をいけにえにして
近所の風呂炊きの薪といっしょに燃やした罪は
ほんとうに贖えるのだろうか
ことばが人となるなら
ぼくは人でなしになるだろう
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